NGT48事件史(NGT48暴行事件ほか) - 秋元康

秋元康(あきもと やすし)は、日本で第一線で活躍し続ける作詞家・プロデューサー。
AKBGにも詞を提供し続け、AKBGにおいて「総合プロデューサー」を務めている。

そのため当然、NGT48暴行事件に際しても責任を問われる場面もあった。後述するように、その責任をどこまで問えるかは、評価の分かれる難題である。
本項では秋元康の経歴等については大半を割愛し、NGT48暴行事件に関連する部分についてのみ詳しく述べる。
エケペディア記事→秋元康

擁護論:AKS社長でも社員でも無い秋元康

秋元康はAKSの創業者であるが、事件当時には既に経営の第一線は退いていた。
事件当時、AKSの代表取締役は吉成夏子(パチンコメーカー京楽産業出身、2014年以降就任)であり、さらには吉成が100%株主である。
創業当初から秋元康は代表取締役では無かったが、事件当時、秋元康はAKSの取締役でもなく、さらにはAKS社員ですら無かった。

秋元康は、(2016年から?)自身の事務所「Y&N Brothers」を通じて、AKSから「クリエーティブなプロデュース部分」につき業務を委託される形にしてAKSの経営から後退しており、「運営、メンバーや劇場の管理はAKSが業務を遂行する」と定められていた(withnews記事:NGT48暴行事件の温床、私的つながり求める「厄介」 放置の運営第三者委員会報告書)。

こうした事実関係もあり、「秋元康はNGT48と関係無い」と擁護する意見もあった。
吉成夏子が株式会社AKSの100%株主でありかつ代表取締役であるという絶対権力者である以上、秋元康にできる事は僅かだったかもしれない。
(当サイトも100%株主でありかつ代表取締役でもあった吉成夏子の責任の方を強く批判している。)

責任論:総合プロデューサーとして

肩書

事件当時のNGT48の公式サイトにおいて、顔と名前を出している大人は、総合プロデューサーの秋元康だけであった。(NGT48公式サイトアーカイブ)。

2021年9月27日現在も、秋元康はAKB48公式サイトにおいて、
>アイドルグループ ”SKE48” ”SDN48” ”NMB48” ”HKT48” ”NGT48” の総合プロデューサーも務める。
と明記されている(秋元康プロフィール(AKB48公式サイト)アーカイブ)。

なお、奇妙な事に、AKB48公式サイト内においては、2021年9月27日現在、AKB48の総合プロデューサーであるのかの表記が見つかり難い。
上記秋元康プロフィールにも現時点でのAKB48における肩書の明記が無い。
公式サイト内で「総合プロデューサー」で1年以内の全文一致検索をかけても、2021年9月27日現在、ヒットしない。
同サイトトップページからのリンクは「プロデューサー」となっており、AKB48のプロデューサーである事は辛うじて分かるが、トップページには「総合」の二文字が無い。
ただし2021年5月2日の秋元康の誕生日には、AKB48公式ツイッターアカウントが「総合プロデューサー」に対するものとして祝辞を述べており、秋元の肩書が変わったり、隠されたりしている訳では無いようである(「本日はAKB48総合プロデューサー秋元康さんのお誕生日です おめでとうございます」)。

総じてヴァーナロッサムも含め、AKBGはAKBGをよく知らない外部向けの説明がウェブサイトで不足する傾向がある((旧AKS)ヴァーナロッサム#websiteも参照)。
上記の「現在の肩書の無記述」も、深い意味は無く、ただの悪文なのかもしれない。

批判

「総合プロデューサー」であるにも関わらず、NGT48暴行事件について、自身の言葉を一切発しなかった事は少なからず批判された(批判例:PRESIDENT Online(2019/04/29、元木昌彦)同記事ライブドア掲載版)。

「秋元康の顔・ブランド」で安心して娘を預けた親も少なからず居たであろう事を鑑みると、「秋元に責任が全く無い」とするには無理があるだろう。

AKS幹部が事件露見後初めて取材に応えて謝罪した際(2019年1月14日、於神田明神)、AKS取締役(当時)松村匠は「(秋元康に報告した際、秋元氏は)憂慮していた。叱責された」と述べており、秋元康が松村匠を叱責し得る立場に居た事を示唆している(但しこれは松村匠の言であり、どこまで力関係を正確に反映しているかは不明であるが)(朝日新聞2019年1月14日)。
第三者委員会報告書記者会見(2019年3月22日)でも、松村匠は、「(秋元氏は)やはり憂慮されておられます。」「秋元さんはクリエイティブのところを中心に担当されているので」などと、秋元康に敬語を使っていた。
AKSから業務委託されている秋元康に言及する際に、AKS取締役である松村匠が敬語を使っていたことも、秋元のAKSに対する権限と責任、影響力があるのか無いのか、(敬語だからと言って必ずしも相手が上位である事を示すとは限らないが)曖昧である事を示す現象として問題になった(敬語用例出典:ハフポスト2019年03月23日)。

田中秀臣は、「上手くいくときには、AKB48の制作者として自身を売り出し、そして現在のような批判の強い時期には沈黙を続ける。これもまた社会的な常識とはかけ離れているように、筆者には思える。」と、秋元康を強く批判した(NGT山口真帆卒業「秋元康よ、AKBを去れ」 - iRONNA(2019/04/23))。

太田光は2019年9月4日、直接秋元康に質問している。「なんで新潟のこと(NGT48の一連の騒動)何にも言わねえんだよ。おかしいじゃんって言ったらさ。『だってホントにわかんねーんだもん』ってスネてた」と、2019年9月11日午前1時のラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」で述べている(スポーツ報知2019年9月11日)。

山口真帆さん達への支援

山口真帆さんからの謝意

秋元康に対する批判が高まる中、卒業公演より少し前、2019年5月2日、山口真帆さんはモバメ(会員制有料メール、本ページ内解説)にて、
「秋元さんはれなとりこのことも心配してくれたから、私は凄く感謝しています。それなのに極悪人だと思っていたことをここでお詫び申し上げます…」
「(秋元康さんは)私が傷つくようなことは一切しなくて、唯一心配してくれていたと聞いています」
等述べ、さらには「秋元康はAKSのトップでは無いし、何の報告もされておらず、AKSに逆らえない」ことに驚いた旨も述べた(サンスポ日刊スポーツ)。

焦点となっていた山口真帆さんが秋元康に擁護的な姿勢、ないし秋元康からの支援に謝意を示した事も反響を呼んだが、秋元康は次項で述べる「作詞提供」でさらに驚かれる行動をとった。

「太陽は何度でも」詞提供

上記モバメの17日後に開催された、山口真帆さん、菅原りこさん、長谷川玲奈さんの卒業公演(2019年5月18日)に、秋元康は「太陽は何度でも」の詞を提供した(オリコン2019-05-18)。
「秋元康さんが作詞した新曲、『太陽は何度でも』」という発表が同卒業公演でなされた時、会場には配信にも大きく聞こえるほどの「おお…」というどよめきが起きた。

「事実上AKBGを追放される、卒業する3人のために、秋元康が作詞した」というのは、前例が無い。
芸能界で3人が生きていくにあたり、「秋元康から詞を貰えた」ことは、(量的評価は困難ではあるが)小さからぬ財産と言える。

山口真帆さんの仲間の移籍を支援

長谷川玲奈さんがクロコダイルに移籍した際には、「秋元康先生がいろいろ動いてくださって、クロコダイルさんとも出会うことができ、感謝しています」と長谷川玲奈さんが述べている(2019/6/10長谷川玲奈、独占インタビュー!10日から声優事務所で再出発(1/2ページ) - イザ!アーカイブ)。
東スポは、山口真帆さんが、共に卒業した長谷川玲奈さんの新たな夢の実現や事務所への移籍などをフォローしてくれるように、秋元康に直訴していたと報じた(東スポ2019年06月12日)。

東スポが報じた経緯の真偽はともかく、長谷川玲奈さんの移籍につき、秋元康が影響力を発揮し長谷川さんを助けたのは、長谷川玲奈さん本人が公開されるインタビューで述べており、事実と言える。

なお、他にも山口真帆さんや菅原りこさんの移籍にも秋元康が影響力を発揮したとする推測も一部にあるが(山口真帆さんについての推測は右記記事参照:リテラ2019.05.25)、こちらについては2021年10月現在、蓋然性が低く無い推測の域を出ない。

スポーツ報知は、
>関係者によると、山口に興味を持った研音サイドから卒業後にアプローチ。山口本人と話し合いを重ね、契約を結ぶことになった。
と報じている(スポーツ報知2019年5月25日)。

唯一山口さん達側についた「大人」

AKSで、「山口さん達の卒業公演の準備に尽力したスタッフ達」といった、名前の出て居ない社員を除けば、名前の出て居る大人で山口さん達を目に見える形で(部分的ではあるにせよ、十分であるかどうかは議論が分かれるにせよ)支援したのは、秋元康だけである。

尤も、先述の通り、秋元康は業務委託されている身分であると考えれば、秋元康は厳密には「AKSの大人」では無いかもしれない。そうすると「総合プロデューサー」としての顔は何なのかという事にもなるが。

2020年・2021年、NGT48に詞提供

そうかと思えば にも(少なくとも表向きは何の抵抗も見せずに)作詞するなど、秋元康の態度・立場は分り難い。

総評・賛否両論

沈黙と、山口さん達への作詞提供、その後の再沈黙などの複雑さから、事件を巡る秋元康については肯定的なものから否定的なものまで、濃淡を伴いつつ評価が分かれている。